待乳山聖天【参拝】大根・怖い噂・ガネーシャとの関係まで実際に参拝して調べてみた

体験記録

東京・浅草にある待乳山聖天(まつちやましょうでん)

浅草寺から少し北へ歩いた場所にあるお寺で、正式には本龍院(ほんりゅういん)といいます。

私が待乳山聖天について初めて詳しく調べたとき、気になることが次々と出てきました。

なぜ大根をお供えするのか。

なぜ「願いが叶いすぎて怖い」といわれるのか。

なぜインドの神様ガネーシャと関係があるのか。

さらに調べていくと、徳川家康が待乳山を「隠した」という不思議な伝説まで出てきます。

一つ調べると、また一つ疑問が出てくる。

そこで事前に歴史や信仰について調べ、実際に待乳山聖天を訪れながら、それぞれの疑問を追いかけてみました。

この記事では、これまで調べてきた内容をまとめながら、待乳山聖天とはどんなお寺なのかを紹介します。

待乳山聖天とは?浅草にある「聖天さま」のお寺

待乳山聖天は、東京都台東区浅草にある天台宗のお寺です。

正式名称は本龍院

浅草寺の子院の一つで、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)をお祀りしています。

この大聖歓喜天が、一般に「聖天さま」と呼ばれる仏教の神格です。

待乳山聖天に伝わる縁起では、推古天皇3年(595年)、この地が突然盛り上がって山となり、金色の龍が舞い降りて山を守護したとされています。

さらに推古天皇9年(601年)、この地域が大干ばつに見舞われた際、十一面観音が大聖歓喜天の姿となって現れ、人々を救ったと伝えられています。

寺伝に従えば、待乳山における聖天さまの信仰は、今から1400年以上前までさかのぼることになります。

待乳山聖天のご利益は?

待乳山聖天について調べると、まず気になるのが「どんなご利益があるのか」ではないでしょうか。

聖天さまは、古くから現世利益の信仰を集めてきました。

待乳山聖天では、夫婦和合や商売繁盛などの信仰でも知られています。

そして境内を歩いていると、聖天さまの功徳を象徴するものとして大根と巾着をいたるところで目にします。

最初に訪れたとき、私が驚いたのもこの光景でした。

なぜ、お寺にこれほどたくさんの大根があるのでしょうか。

待乳山聖天ではなぜ大根を供える?

待乳山聖天を象徴するものの一つが大根です。

境内には大根をかたどった意匠があり、実際に参拝者がお供えするための大根も用意されています。

私も参拝した際、実際に大根をお供えしました。

待乳山聖天では、大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲睦まじく末永く一家の和合を守る功徳を表すものとされています。

さらに歓喜天・毘那夜迦について調べていくと、古い仏教典籍の中にも、大根を意味する「蘿蔔(らふく)」に関係する記述が見られます。

もちろん、現在の待乳山聖天で行われている大根のお供えが、こうした古い典籍の記述から直接始まったと断定することはできません。

では、なぜ大根が夫婦和合を表すのか。そして聖天信仰と大根には、どのような関係があるのでしょうか。

詳しくはこちらの記事で調べています。

関連記事:待乳山聖天ではなぜ大根を供える?大根が夫婦和合を意味する理由を調べてみた

大根だけじゃない?境内にある「巾着」の意味

待乳山聖天を歩いていると、大根とともによく目にするものがあります。

それが巾着です。

大根と巾着は、待乳山聖天を象徴する意匠として境内のさまざまな場所に見られます。

巾着は財宝を表し、商売繁盛を象徴するものとされています。

つまり境内に数多く見られる「大根」と「巾着」には、それぞれ聖天さまの功徳が表されているわけです。

参拝するときには、本堂だけを見るのではなく、境内の大根と巾着を探して歩いてみるのも面白いと思います。

待乳山聖天は怖い?「願いが叶いすぎる」という噂

待乳山聖天について検索していると、少し気になる言葉が出てきます。

「待乳山聖天は怖い」

あるいは、

「願いが叶いすぎる」

という話です。

私も参拝前にこうした言葉を見つけて、「なぜ怖いといわれているのだろう?」と気になりました。

調べてみると、聖天さまが強い霊験や現世利益をもたらす存在として信仰されてきたことが、こうしたイメージにつながっているようです。

一方で、実際に待乳山聖天を訪れてみると、私自身は境内に「怖い」という印象は受けませんでした。

むしろ大根をお供えする参拝者の姿があり、浅草の町の中に静かに信仰が続いているお寺という印象でした。

では、なぜ「怖い」「願いが叶いすぎる」という話が広がっているのでしょうか。

噂の背景と実際に参拝して感じたことについては、こちらの記事で詳しく調べています。

関連記事:待乳山聖天は怖い?「願いが叶いすぎる」という噂を調べて実際に参拝してみた

なぜ待乳山聖天とガネーシャがつながる?

そして、私が待乳山聖天について調べていて特に面白いと感じたのがガネーシャとの関係です。

ガネーシャといえば、象の頭と人間の身体を持つヒンドゥー教の神として知られています。

なぜ、インドの神様が浅草のお寺と関係するのでしょうか。

その理由は、待乳山聖天で「聖天さま」として信仰されている大聖歓喜天のルーツにあります。

大聖歓喜天の歴史をインドまでさかのぼっていくと、ガネーシャやヴィナーヤカにつながる神格にたどり着きます。

ただし、待乳山聖天にヒンドゥー教のガネーシャがそのまま祀られている、と考えるのは正確ではありません。

インドに起源を持つ神格が仏教に取り入れられ、中国を経て日本へ伝わり、密教の中で歓喜天・大聖歓喜天・聖天さまとして信仰されてきた、と考える方が分かりやすそうです。

そして、この歴史を調べていくと、待乳山聖天に伝わる601年の縁起と、平安時代の高僧円仁(慈覚大師)にたどり着きました。

円仁は838年に唐へ渡り、847年に帰国した僧です。

円仁が唐から請来した経典などを記録した『入唐新求聖教目録』には、歓喜天・毘那耶迦に関係する典籍が記録されています。

さらに待乳山には、857年に円仁が聖天さまの像を造り、浴油の修法を行ったという伝承があります。

ただし、これだけで「円仁が待乳山で初めて歓喜天信仰を始めた」と断定することはできません。

601年は待乳山に伝わる縁起、857年は円仁にまつわる寺伝、そして円仁が歓喜天関係の典籍を請来したことは歴史資料から確認できること。

これらを分けて見ていくと、待乳山聖天とガネーシャの関係がさらに面白くなってきます。

実際に待乳山聖天を訪れ、境内でガネーシャを探してみましたが、私には「これはガネーシャだ」と分かるものを見つけることはできませんでした。

その代わりに見えてきたのは、日本で長い時間をかけて育まれてきた「聖天さま」の信仰でした。

ガネーシャから歓喜天へどのようにつながったのか、601年と857年にはどのような違いがあるのかについては、こちらの記事で詳しく調べています。

関連記事:なぜ待乳山聖天にガネーシャがいる?聖天さまの正体と歴史を調べてみた

徳川家康が待乳山聖天を隠した?浅草寺に残る都市伝説

待乳山聖天について調べていると、さらに不思議な話に出会いました。

「徳川家康が待乳山聖天を隠した」

という説です。

江戸幕府を開いた徳川家康と、浅草の待乳山聖天。

一見すると、何の関係があるのか分かりません。

ところが浅草寺周辺の歴史や地形を調べ、さらに現地で話を聞いてみると、この伝説が生まれた背景に興味深いものが見えてきました。

もちろん、歴史的事実として確認できることと、後世に伝えられてきた伝説は分けて考える必要があります。

本当に徳川家康が待乳山聖天を隠したのか。

徳川家康と待乳山聖天をめぐる話については、現地で聞いた内容も含めてこちらの記事にまとめています。

関連記事:待乳山聖天を徳川家康が隠した?浅草寺との都市伝説を現地で聞いてみた

実際に待乳山聖天へ参拝してみた

ここまでいろいろ調べたうえで、実際に待乳山聖天へ参拝しました。

この日は浅草寺、浅草神社を参拝したあと、歩いて待乳山聖天へ向かいました。

浅草神社からは徒歩で約15分。

浅草寺周辺のにぎやかな場所から少し離れていくと、待乳山聖天に到着します。

実際に境内へ入って最も印象に残ったのは、やはり大根と巾着でした。


事前に調べて知ってはいましたが、実際に歩いてみると、本当にさまざまな場所で大根と巾着の意匠を見つけることができます。

そして私自身も大根をお供えして参拝しました。


一方、ガネーシャとの関係を調べてから訪れたため、境内に象を思わせるものがないか探してみましたが、私には見つけることができませんでした。

ガネーシャを探していたのに、実際にそこで出会ったのは「日本の聖天さま」だった。

これが、今回の参拝で一番印象に残ったことかもしれません。

待乳山聖天は調べてから参拝すると面白い

待乳山聖天は、何も知らずに訪れても静かで趣のあるお寺です。

ただ、少し予習してから歩いてみると、境内の見え方がかなり変わります。

なぜ大根があるのか。

なぜ巾着があるのか。

聖天さまとは何者なのか。

なぜガネーシャにつながるのか。

なぜ円仁が登場するのか。

そして、なぜ「怖い」「願いが叶いすぎる」といわれるようになったのか。

一つひとつ調べてから境内を見ると、それまで単なる模様に見えていた大根や巾着にも意味が見えてきます。

私自身、最初は「なぜ大根を供えるのだろう?」という程度の疑問でした。

ところが調べていくうちに、インドのガネーシャ、仏教の毘那夜迦、中国から日本への密教の伝来、円仁、さらに江戸時代にまつわる伝説まで話が広がっていきました。

一つの小さな疑問から、日本の仏教史や浅草の歴史までつながっていく。

そこが、私が待乳山聖天を調べていて最も面白いと感じたところです。

まとめ|待乳山聖天を調べて分かったこと

今回は、これまで調べてきた待乳山聖天についてまとめました。

  • 待乳山聖天の正式名称は本龍院
  • 「聖天さま」と呼ばれる大聖歓喜天が信仰されている
  • 寺伝では595年に待乳山が出現し、601年に大聖歓喜天が現れたとされる
  • 境内では大根と巾着が聖天さまの功徳を象徴している
  • 実際に大根をお供えして参拝できる
  • 「怖い」「願いが叶いすぎる」という噂がある
  • 大聖歓喜天のルーツをインドまでたどるとガネーシャやヴィナーヤカにつながる
  • 円仁が唐から請来した典籍の目録には歓喜天に関係するものが記録されている
  • 待乳山では857年に円仁が聖天像を造り、浴油の修法を行ったと伝えられている
  • 徳川家康と待乳山聖天をめぐる伝説も伝えられている

最初は「大根をお供えする変わったお寺」という印象でした。

しかし調べてみると、その背景には1400年以上前までさかのぼる縁起と、日本の密教、さらにインドまでつながる聖天さまの歴史がありました。

そして面白かったのは、調べて終わりではなかったことです。

予習して、実際に訪れて、帰ってからもう一度調べる。

そうすると、一度の参拝だけでは気づかなかったものが次々と見えてきます。

これから待乳山聖天を訪れる方も、大根や巾着を探しながら、「聖天さまとは何者なのか」を少し意識して境内を歩いてみると、参拝がより面白くなると思います。

待乳山聖天について調べた記事

待乳山聖天について気になったことを、テーマごとに詳しく調べています。

気になるものから読んでみてください。

待乳山聖天について新しく調べたことがあれば、今後もこの記事に追加していきます。

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