東京観光の定番といえば、浅草。
そして浅草と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが「浅草寺の雷門」です。
赤い大きな提灯の前で写真を撮り、仲見世を歩いて、本堂へお参りする。私も浅草寺にはそんなイメージを持っていました。
ところが、実際に浅草寺について考えてみると、私はほとんど何も知りません。
浅草寺はいつできたのか。
誰が建てたのか。
何宗のお寺なのか。
そもそも何を祀っているのか。
さらに調べていくと、「絶対秘仏」「金龍」「浅草神社」など、気になる言葉が次々と出てきました。
特に気になったのが、浅草寺の本尊です。
約1400年もの歴史を持つ浅草寺なのに、その中心となる本尊は現在も見ることができない「絶対秘仏」だといいます。
これは面白い。
せっかく浅草寺へ行くなら、雷門を見て終わるのではなく、その背景を知ってから歩いてみたい。
そこで今回は、実際に浅草寺を訪れる前に、歴史、本尊、秘仏、そして浅草寺と龍との関係まで予習してみることにしました。
浅草寺とは?まず基本を予習
まずは浅草寺の基本情報から確認してみます。
浅草寺は東京都台東区浅草にある寺院で、正式には「金龍山浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)」といいます。
- 名称:金龍山浅草寺
- 読み方:せんそうじ
- 所在地:東京都台東区浅草2丁目3-1
- 宗派:聖観音宗
- 山号:金龍山
- 本尊:聖観世音菩薩
現在の浅草寺は聖観音宗の総本山です。
そして、本尊として祀られているのが聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。一般には「観音さま」と呼ばれている仏さまです。
ここで最初に混乱したのが、浅草寺のすぐ隣に浅草神社があることでした。
浅草寺は「寺」で、浅草神社は「神社」。現在は別の宗教施設ですが、実はこの二つは浅草寺の始まりと深く結びついています。
この関係を知るには、今から約1400年前まで歴史をさかのぼる必要がありました。
浅草寺はいつ、誰が建てた?

浅草寺の始まりは飛鳥時代
浅草寺の歴史は、なんと飛鳥時代までさかのぼります。
浅草寺の寺伝によると、その始まりは推古天皇36年(628年)3月18日。
まだ奈良の大仏も平安京も存在していない時代です。
東京にこれほど古い寺があること自体、少し意外でした。
ただし、ここで覚えておきたいのは、628年の出来事については現代の記録によって確認された出来事というより、浅草寺に伝わる「縁起(寺伝)」として語られているということです。
隅田川で観音像が見つかったという伝承
浅草寺の始まりには、不思議な物語があります。
628年3月18日の早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)と檜前竹成(たけなり)という兄弟が、現在の隅田川で漁をしていました。
ところが、網にかかったのは魚ではありません。
一体の仏像でした。
兄弟はその像が何なのか分からなかったため、土地の有力者だった土師中知(はじのなかとも)に見せます。
すると土師中知は、それが聖観世音菩薩の像であることを知ったと伝えられています。
つまり浅草寺は、最初から立派なお寺が建てられたわけではありません。
隅田川から一体の観音像が現れた。
浅草寺の物語は、ここから始まります。
土師中知はなぜ自宅を寺にしたのか
観音像を見た土師中知は深く帰依し、のちに出家したと伝えられています。
そして、自分の家を寺に改め、観音像を安置して礼拝・供養するようになりました。
これが浅草寺の原型になったとされています。
さらに645年になると、浅草を訪れた勝海上人(しょうかいしょうにん)が観音堂を建立します。
浅草寺の歴史を調べていると、「誰が浅草寺を建てたの?」という問いに一人の名前だけでは答えにくい理由が分かってきます。
「浅草寺を建てた人」は一人では説明できない?
浅草寺の創建を整理すると、少なくとも三つの段階があります。
- 檜前浜成・竹成兄弟が観音像を発見する
- 土師中知が自宅を寺として観音像を祀る
- 645年に勝海上人が観音堂を建立する
つまり「浅草寺を作った人は誰?」と聞かれても、単純に一人の人物を答えれば終わりではありません。
そして、この三人――檜前浜成・竹成兄弟と土師中知――は、後に浅草寺のすぐ隣にある浅草神社とも深く関係してきます。
浅草寺は何宗?何の神様を祀っている?
現在は聖観音宗の総本山
現在の浅草寺の宗派は聖観音宗(しょうかんのんしゅう)です。
もともとは天台宗に属していましたが、1950年から聖観音宗となり、その総本山となっています。
「浅草寺=昔からずっと聖観音宗」だと思っていたので、これは予習して初めて知りました。
お寺なのに「何の神様?」という疑問
浅草寺について検索すると、「浅草寺 何の神様」「浅草寺 何を祀ってる」といった疑問が出てきます。
ただ、浅草寺は神社ではなく仏教寺院です。
そのため、厳密には「何の神様を祀っているの?」ではなく、「ご本尊はどの仏さまなの?」と考える方が分かりやすそうです。
本尊は聖観世音菩薩
浅草寺の本尊は聖観世音菩薩です。
一般的には「観音さま」と呼ばれています。
観音さまは、人々の声を聞き、その苦しみを取り除き、願いを聞いて安楽を与える仏さまとして信仰されてきました。
浅草寺は、この観音さまへの信仰を中心として約1400年の歴史を歩んできたことになります。
ところが、その観音さまには非常に大きな謎があります。
本尊を見ることができないのです。
浅草神社とは何が違う?
浅草寺のすぐ隣には浅草神社があります。
現在の区分でいえば、浅草寺は仏教の寺院、浅草神社は神道の神社です。
ところが、祀られている存在を知ると両者の関係が見えてきます。
浅草神社の主祭神は、浅草寺の創建伝承に登場した檜前浜成、檜前武成(竹成)、土師真中知の三人です。
浅草寺の観音像に関わった三人が、今度は浅草神社で神様として祀られている。
これを知ると、浅草寺と浅草神社を別々に見るより、両方を訪れてみたくなります。
江戸時代までは両者の信仰や行事も密接に結びついていましたが、明治時代の神仏分離によって現在のように寺と神社が明確に分かれていきました。
浅草寺最大の謎、本尊はなぜ「絶対秘仏」なのか
本尊の観音像とは
浅草寺の本尊は、628年に隅田川で発見されたと伝えられる聖観世音菩薩像です。
ところが浅草寺へ行っても、この像を直接見ることはできません。
本堂の御宮殿の中に安置され、「絶対秘仏」として守られているからです。
なぜ公開されない?
浅草寺の寺伝では、645年に勝海上人が観音堂を建立した際、夢のお告げによって本尊を秘仏と定めたとされています。
そして、その決まりは現在まで守られてきました。
つまり、「貴重だから最近になって非公開にした」という話ではありません。
浅草寺の信仰そのものに、本尊を直接目にしないという考え方が組み込まれているようです。
「絶対秘仏」とは何なのか
秘仏とは、厨子などに納められ、通常は一般に公開されない仏像のことです。
中には一定の期間ごとに公開される「開帳」が行われる秘仏もあります。
しかし浅草寺の本尊は、そうした開帳を前提としない絶対秘仏とされています。
浅草寺の中心にある存在なのに、その姿を見ることができない。
これは現代の感覚からすると、とても不思議です。
一方で、見えないからこそ約1400年にわたって人々の信仰の対象であり続けてきた、と考えることもできそうです。
御前立本尊との違い
ここで登場するのが御前立本尊(おまえだちほんぞん)です。
浅草寺では857年、慈覚大師円仁が聖観世音菩薩像を刻み、本尊の御前立としたと伝えられています。
絶対秘仏である本尊に代わって、その姿を表す存在と考えると分かりやすいでしょう。
ただし、この御前立本尊も普段から公開されているわけではありません。
浅草寺によると、御前立本尊を拝めるのは年に一度、12月13日午後2時に限られています。
本尊だけでなく、その代わりとなる御前立本尊まで秘仏というのは興味深いところです。
本尊は本当に存在する?伝承と史実を分けて考える
ここまで調べると、どうしても気になる疑問があります。
「約1400年間、誰にも見せない本尊とは、いったいどんなものなのだろう?」
さらに一歩進めれば、「現在も本当にそこにあるのだろうか」と考えたくなリますよね。
ただし、ここでは寺伝と歴史的に確認できる事実を分けて考える必要があります。
628年に隅田川から観音像が現れたことや、645年に夢告によって秘仏になったという話は、浅草寺に伝わる縁起です。
一方、浅草寺では現在も本尊を聖観世音菩薩として本堂の御宮殿に祀り、信仰を続けています。
「見えないから存在しない」と結論づけることも、「伝承だからすべて歴史的事実」と考えることもできません。
むしろ、なぜ姿を見ることのできない観音さまが、これほど長い間信仰され続けてきたのか。
私はこちらの方が気になってきました。
なぜ浅草寺には「龍」がいる?
山号が「金龍山」である理由
浅草寺の正式名称は金龍山浅草寺です。
つまり、名前そのものに「龍」が入っています。
浅草寺の縁起では、観音さまが現れた際に金色の龍が天から舞い降りたと伝えられています。
そこから「金龍山」という山号が付けられたとされています。
東京の平地にある浅草寺なのに、なぜ「山」なのかと思いましたが、寺院では所在地が山でなくても「山号」を持つことがあります。
観音様と金龍の伝承
浅草寺では、観音さまの示現と金龍の伝承が結びついています。
現在も浅草寺では「金龍の舞」が奉演される行事があります。
つまり「龍」は、後世になって観光用に付け加えられたキャラクターのようなものではなく、浅草寺の縁起に関係する存在です。
「浅草寺と龍神」という言葉だけを見ると少しスピリチュアルな話にも見えますが、まずは浅草寺に伝わる金龍の伝承を知っておく方がよさそうです。
境内で龍を探してみたい
ここまで調べると、実際に浅草寺へ行ったときの楽しみが一つ増えました。
境内にどれだけ「龍」がいるのか探してみたい。
雷門だけを目的に訪れていたら、おそらく気にも留めなかったと思います。
しかし「金龍山」という名前の由来を知ったうえで境内を見ると、建物の装飾や絵などに描かれた龍にも意味があるように感じられそうです。
子どもたちにも「龍を探してみよう」と言えば、歴史の説明だけを聞かせるより楽しんでくれるかもしれません。
「龍之図」も現地で確認する
浅草寺について調べていると、境内には龍に関係する絵や意匠があることも分かります。
特に実際に確認してみたいのが「龍之図」です。
写真で予習してしまうこともできますが、今回はあえて細部まで調べすぎず、現地で探してみたいと思います。
「浅草寺には龍がいるらしい」という予備知識だけ持って歩く。
これも今回の自由研究の一つにします。
浅草寺はパワースポットなの?
「パワースポット」という言葉と寺院信仰は分けて考える
浅草寺を調べると、「パワースポット」「龍神」「属性」といった言葉も出てきます。
ただ、ここは少し慎重に考えたいところです。
浅草寺が約1400年にわたって信仰されてきたことと、現代的な意味での「パワースポット」は同じ話ではありません。
「浅草寺は○○属性だから、この属性の人に相性がいい」といった話も見かけますが、少なくとも浅草寺そのものの歴史や仏教上の教えとは分けて考えた方がよさそうです。
私としては「パワーをもらえる場所」と決めつけるより、約1400年間、人々が願いを持って訪れ続けてきた場所として見てみたいと思います。
病気平癒など浅草寺で祈願されていること
浅草寺では現在も本堂で毎日法要が行われ、さまざまな願いについて祈祷が行われています。
観音さまは古くから人々の苦しみに寄り添う存在として信仰されてきました。
そのため浅草寺を「観光地」としてだけ見ると、本来の姿の半分しか見えていないのかもしれません。
雷門の向こうには、現在も信仰が続いている寺院があります。
雷除け・お守り・身代わり守りについて
浅草寺には多くのお守りがあります。
公式サイトを見ると、本尊守、御影守、身代守、心願成就守、厄除守、交通安全守、災難除守、学業守、身体健康守など、さまざまなお守りが授与されています。
今回はお守りの種類をすべて予習するのではなく、実際に授物所を見てみようと思います。
「どんなお守りがあるのか」「なぜそのお守りが浅草寺で授与されているのか」。
気になるものがあれば、現地で確認するのも今回の目的の一つです。
調べてみると、浅草寺の見え方が変わってきた
予習する前の私にとって、浅草寺といえば「雷門がある東京の有名観光地」でした。

ところが歴史を調べてみると、その印象はかなり変わりました。
始まりは628年、隅田川で見つかったと伝えられる一体の観音像。
その観音像を祀ったことから浅草寺の歴史が始まり、約1400年が経過した現在も聖観世音菩薩への信仰が続いています。
しかも、その中心となる本尊は今も絶対秘仏。
浅草寺のすぐ隣にある浅草神社には、浅草寺の始まりに関わった三人が神様として祀られています。
さらに「金龍山」という名前には龍の伝承まで残されています。
こうして予習してみると、雷門の写真を撮って本堂へ向かうだけでは、少しもったいない気がしてきました。
観音さま、絶対秘仏、浅草神社、そして龍。
実際に浅草寺へ行ったときに確かめたいものが、いくつもできました。
次は実際に浅草寺へ行って確かめてみる
予習はここまで。
次は実際に浅草寺を歩いてみます。
今回、特に確認してみたいのは次のポイントです。
- 雷門は実際に見るとどれくらい大きいのか
- 本堂では絶対秘仏の本尊をどのようにお参りするのか
- 境内のどこに「龍」を見つけられるのか
- 浅草寺と浅草神社は実際にどれくらい近いのか
- 浅草神社には浅草寺とのつながりを感じられるものがあるのか
- どんなお守りが授与されているのか
そして今回は子どもたちと一緒なので、ただ説明を聞かせるだけではなく、「予習で知ったものを実際に探す」という歩き方をしてみたいと思います。
約1400年前、隅田川から現れたと伝えられる小さな観音像から始まった浅草寺。
現在では年間を通して多くの人が訪れる東京を代表する観光地になっています。
でも、そのにぎわいの奥に何が残っているのか。
予習した知識と、実際に自分の目で見た浅草寺は同じなのか。
次は現地で確かめてみます。


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