映画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』を観てきました。
息子から観たいとせがまれたことをいいことに、娘も連れて3人で鑑賞。
こういう時間、いいですね。
海底鬼岩城は、私も子どもの頃に観ています。
たぶん40年ぶりくらい。
ただ、正直ほとんど覚えていませんでした。
バギーがしずかちゃんに懐いていたことくらい。
せっかくなので、感想と考察を残しておきます。
映画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』の感想
娘に感想を聞くと、
「こわかった!でも泣かなかったよ」
でした。
娘の友達も「こわかった」と言っていたので、
やっぱり今作は“怖さ”がしっかり残っている作品なんだと思います。
怖かったシーンは👇
- ジャイアンとスネ夫のテキオー灯が切れるシーン
- アトランティス側のバトルフィッシュが登場するあたり
- 海底鬼岩城に乗り込んだあと
中盤以降、ずっと娘に手を握られていました。
…かわいい。
映画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』の考察
ポスターにはこう書かれています。
「ぼくらはきっとわかりあえる。海の底で、心の底で」
息子が「ドラえもん映画は名言が多い」と得意げに教えてくれました。
そして今回、自分の中に一番残ったのがこの言葉です。
「正解と正しいは違う」
シンプルだけど、かなり重い。
正直、この一言のためにこの作品があるのでは?と感じるほどでした。
正解と正しいは違うときがある
のび太が海底キャンプ最初の夜に語る言葉です。
さすが主人公。
「正解」は外にある
正解は分かりやすいです。
- 間違いがない
- ルールに沿っている
- 誰が見ても納得できる
つまり、外にある基準です。
仕事でも、学校でも、社会でも、
私たちはずっとこの「正解」を求めてきました。
そして、
正解を選び続けることが「正しい」と思い込んできた。
逆に言えば、
間違いを選ぶことを必要以上に恐れているのかもしれません。
「正しい」は自分の中にある
一方で「正しい」は違います。
- 人によって違う
- 状況によって変わる
- 必ずしも理解されない
そして何より、
誰も保証してくれない。
だから難しいし、怖い。
でも同時に、
誰かに決めてもらうこともできない。
バギーが心を持った瞬間
鬼岩城に侵入する場面、
ドラえもんの指示に対してバギーは動けなくなります。
危険防止機能が働いたからです。
それが「正解」。
でもクライマックス、
しずかちゃんの涙に反応したバギーは、その制御を越えて動きます。
正解ではなく、「正しい」と思う方を選んだ。
しかもそれは、命令ではなく、
自分で選んだ行動でした。
なぜそれが「心」なのか
AIは本来、ルールの中で動きます。
でもバギーは、
- 危険だと分かっている
- 止められている
- それでも行動する
という選択をした。
つまり、
ルールよりも、自分の判断を優先した
ということです。
この瞬間、バギーはただの機械ではなく、
“選ぶ存在”になったと感じました。
「自分で決める」ということ
ここで改めて思ったのは、
何が正しいのかを決めるのは、結局自分自身
ということです。
でもこれは、簡単ではありません。
- 周りの評価が気になる
- 間違えたくない
- 責任を取りたくない
そう思うのが普通です。
むしろ、
迷うことの方が自然なのだと思います。
本当に難しいのはその先
正しいどうかは、その場では分からない。
結果が出て、振り返って、
初めて「あれで良かった」と思える。
だからこそ、
決める時点では、正しさは存在しない
とも言えます。
じゃあ何で決めるのか
一つの答えはこれです。
「自分が引き受けられるかどうか」
後悔も含めて、その結果を受け止められるか。
つまり、
正しさとは覚悟の問題なのだと思います。
まとめ
正解は、外にある。
でも正しさは、外にはない。
自分で選び、引き受けるしかないものです。
それは不安だし、怖いし、間違うこともある。
それでも、
自分で決めるしかない。
その結果は、自分で引き受けるしかない。
そして、決めるときには正しさはわからない。
だから迷う。
でも正しいと思って行動するしかない
きっと、
迷いながら決めること自体が「人間らしさ」なんだと思います。
今回の映画は、そんな当たり前で難しいことを、
とてもシンプルに見せてくれた作品でした。


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