今年も無事に月ヶ瀬梅林へ行ってきました。
花見といえば、どうしても桜のイメージが強いですよね。
しかし実は、奈良時代ごろまでは「花見=梅」だったと言われています。
今では桜が主役ですが、もともと日本人は梅を愛でる文化を持っていました。
さらに梅は、ただ観賞するだけではありません。
- 食用(梅干し・梅酒など)
- 染料
- 薬
など、生活に深く関わる存在でもあります。
もしかすると、日本人にとって梅は
「見る花」以上に「生きるための植物」だったのかもしれません。
そんな梅の名所である月ヶ瀬梅林を訪れてみて、
改めて日本人と梅の関係が気になりました。
せっかくなので今回は、
「なぜ日本人は梅を愛してきたのか」
について、少し考えてみたいと思います。
なぜ日本人は梅を愛してきたのか
日本人は昔から梅をとても好んできたと言われています。
今では花見といえば桜のイメージが強いですが、
実は奈良時代や平安時代には梅の方が人気でした。
当時の貴族たちは、梅の花を見ながら和歌を詠み、
その香りや風情を楽しんでいたのです。
ではなぜ、日本人は梅を好んできたのでしょうか。
理由の一つは、春を告げる花であることです。
まだ寒さが残る中で咲く梅は、
「これから春が来る」という希望の象徴でもありました。
また梅は、見た目の華やかさだけでなく、
香りや静けさを楽しむ花でもあります。
派手に咲き誇る桜とは違い、
控えめで、じんわりと季節を感じさせてくれる存在です。
さらに梅は、観賞だけでなく
- 食用(梅干し・梅酒など)
- 薬としての利用
- 染料としての利用
など、生活に密着した植物でもありました。
つまり日本人にとって梅は、
ただの花ではなく暮らしと結びついた存在だったのです。
こうした背景があり、日本人は昔から
梅を特別な存在として大切にしてきたのかもしれません。
もっとも、私が観梅を楽しめるようになったのは
40歳を過ぎてからです。
それまでは、花見といえば
花よりお酒がメインでした。
そして基本桜。
そんな私も、月ヶ瀬に毎年通うようになって4年。
ようやく、少しだけ日本人らしい感性が分かってきたのかもしれません(笑)
月ヶ瀬梅林は、そんな梅の魅力を改めて感じさせてくれる場所でした。
月ヶ瀬梅林から見える日本人の感性
月ヶ瀬梅林を歩いていて感じたのは、
「静けさの中にある美しさ」でした。
桜のように一斉に咲いて、ぱっと散る華やかさとは違い、
梅の花はどこか控えめで、ゆっくりと春を感じさせてくれます。
実際に歩いていると、
- 満開の木
- これから咲くつぼみ
- すでに散り始めた花
が混ざり合っていて、
「今この瞬間の季節」をそのまま見ているような感覚になります。
整えられた美しさというより、
自然のままの美しさ。
もしかすると日本人は、こうした
完璧ではない美しさ
に魅力を感じてきたのかもしれません。
また、月ヶ瀬梅林には
どこか静かな空気が流れていました。
騒がしさや派手さはなく、
ただゆっくりと時間が過ぎていく感覚。
こうした空間に身を置くと、
何もしていない時間の価値に気づかされます。
忙しい日常の中では見落としがちなものですが、
こうした時間こそが、実はとても贅沢なのかもしれません。
さらに梅は、ただ観賞するだけの花ではなく、
- 食べる
- 保存する
- 体を整える
といった、暮らしに根付いた存在でもあります。
美しさと実用性が一緒にある。
そのあり方もまた、
日本人らしい感覚のひとつのように感じました。
月ヶ瀬梅林を歩きながら感じたのは、
自然をそのまま受け入れ、季節を味わうこと
それが、日本人の感性の根っこにあるのではないか、ということです。
派手さではなく、静けさ。
完成された美しさではなく、移ろいの中の美しさ。
そんな価値観に、少し触れられたような気がしました。


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